ユリア・ステパノワ
ボリショイ・バレエのプリンシパル、ユリア・ステパノワがBallet Insiderのインタビューで、まず、公演前の準備のやり方、どうやったらプリンシパルまでのぼりつめられるのか、そして、将来のプランについて語った。
BI:ユリア、今季はボリショイのプリンシパルとしてシーズンをスタートしましたが、急な昇進について、心の準備はできていましたか?
YS:私にとっては驚きでした。確かに、プリンシパルになって主役を踊るのは、こどもの頃からの夢でした。しかし、ボリショイでは、全てがあっという間の出来事で。(一連の出来事は)ショックでもあり、幸福でもあり、責任を感じました、感情に押し流されそうになりました。責任感を持って、プリンシパルという地位にふさわしいことを証明するべく精進して行きます。
BI:どうして芸術監督のワジーエフは、ボリショイ劇場移籍入団後たった一年ほどのあなたをプリンシパルにしたと思いますか?
YS:(笑い)もちろん、私にはわかりません。彼には感謝しています。まあ、バレエ学校卒業後8年目のシーズンですけれども、今が私のダンサー生命のピークでしょうか、もしこれ以上の成長ができないのであれば、遅すぎるくらいかもしれません。毎年、体の自由が前ほどでなくなってきていますし、この事実からすれば、何か成し遂げたいと願っていても明るい材料があるとは言えませんね。私見では、芸術監督のリーダーとしての決定は、納得がいくと思っています。
BI:何年も、ランク階段をのぼっていくのですね。ダンサー仲間からの反応は気にしていますか?
YS:否定的な態度を取られるのではと恐れていました、しかし、今のところ、そのようには感じていません。誰も私にそのように言うヒトはいませんでした。たくさんのダンサーとよく話しました。団員達はみなおめでとうと言ってくれましたし、この件についてはホッとしています。
BI:マリインスキーを出た後、モスクワでは、ボリショイ入団前に、クレムリン・バレエやモス音で踊っていましたね。どうして、モスクワで最初にクレムリン・バレエに入団したのですか?
YS:静かに踊りを楽しみたい時期があったのです。実際、アンドリス・リエパのところに行って踊ることになっていました。しばらくしてから、きちんとした劇場で広い役のレパートリーに挑戦してみたいと強く感じ、モス音に行きました。
BI:現在のボリショイでは、サンクトぺテルスブルク(=マリインスキー)からのプリンシパルをたくさん擁しています。あなた自身、ワガノワ・バレエ学校の出身代表、そして、サンクト代表として、どのように思いますか?
YS:モスクワとサンクトの間には、違いがあります。私にとっては、どちらが上でどちらが下かを決めるのは容易ではありません。サンクトでは、女性ダンサーは抒情的な踊りを求められ、回転や腕の動きは異なるものを要求されます、しかし、モスクワでは、興奮、スピード、技術を要求されます。(大きな)劇場では、異なるダンサーを擁する包容力があります。
BI:どのようにして、ワガノワ・バレエ学校に入学したのですか?
YS:ポワントやチュチュに憧れていました。他のたくさんの女の子と同様に、オレンブルク(=Yuliaの出身地)では、ダンス・レッスンに出ていました、そして、ダンス学校に入団が許可されたのです。そこでは、先生たちは私に特別な才能があると気が付き、ワガノワ・バレエ学校の入団試験を受けるようにアドバイスしてくれたのです。入団は許可され、訓練はより厳しいものとなりました。
BI:ワガノワ卒業後、マリインスキーに入団するのは難しかったですか、競争は本当に激しいようですし。
YS:すぐにはマリインスキー入団許可は出ませんでした、疑問符がつけられていました。けれども、ボリス・エイフマン劇場はすぐに雇ってくれました。基本的には、やる気満々でエイフマンに入ったのです。しかし、コンサートでいくつか踊ると、マリインスキーに入団を許可されました。私の師であるサフロノワ先生が、私は古典を踊るべきだと諭してくれて、マリインスキー入団を決意しました。
BI:マリインスキー時代と比べて、ボリショイでは踊るためのアプローチは変わりましたか、それとも、実質的な変化はありませんでしたか?
YS:もちろん、変わりました。思うに、私の人生は、きっちりと分かれていますね。ここモスクワでは、異なるエネルギーとより多くの機会を与えてくれます、ここでは、リズムも違うし、人も全く異なります。私自身、自信がつきましたし、自由で活気に満ち溢れています。
BI:ボリショイ・バレエのプリンシパル、Yulia Stepanovaの一日は?
YS:私の一日は、バレエのレッスンから始まります、その後、さまざまなリハーサルをこなします。スケジュールによって、リハーサルは、午後であったり、夕刻であったりします。もし、劇場での舞台装置セットアップ過程であった場合、リハーサルは一日中行われます。よく、夜の部の公演も行われます。もし、夜の公演で主役を踊る場合は、午後、公演が始まる前に少し休憩します。
BI:公演前に特別に準備することはありますか?
YS:ステージに立つ前に、一時間半かけます。当日公演のビデオをみたり、役を全て頭に叩き込むための努力をします、段々と、役のイメージに入っていくのです。私にとって、踊る前の準備として、これは重要な瞬間です。
BI:ダンサーは、「この役を踊る権利・資格がある」と常に証明しなければなりません。あなたは、「新入り」として、人の二倍努力が必要ですね。どのように緊張やストレスに対処しているのですか?
YS:私の人生においては、何度もそのような境遇に遭遇しました。あなたもご存知のように、芸術家として、恒常的に、バレエ学校入学からずっと、誰かに何かを証明しなくてはならないのです。それは、習慣になるのです。もちろん、不安になります、しかし、自分自身気を引き締めてやるべきことをやる、ということを学びました。
BI:踊るために犠牲にすることは・しないことは?
YS:あまりやり過ぎないこと。実際、私は狂信的にバレエを究めたい訳ではなく、バレエのために人生をかけません。家族を持ちたいし、子供が欲しいです、道徳的な価値感を無視はしません。
BI:近い将来の目標はなんですか?
YS:意気揚々としていると感じています。一生懸命、できうる限り仕事・踊りをどんどんこなしていきたい。クラシックでもコンテでも。
BI:ボリショイでの先生はどなたですか?
YS:セメニヤカ先生です。彼女は偉大なプロです!ボリショイのプリンシパルでした、私と同様ワガノワ卒業生ですし、ボリショイの舞台に立つのを助けてくれます。バレエの技術を教えてくれます。また、とても素敵な方です。彼女といると、母といっしょにいるような気持になります。どんな話題でも話せますし、リハーサルでは、自由に踊らせてくれると感じます。
ボリショイ・バレエのプリンシパル、ユリア・ステパノワがBallet Insiderのインタビューで、まず、公演前の準備のやり方、どうやったらプリンシパルまでのぼりつめられるのか、そして、将来のプランについて語った。
BI:ユリア、今季はボリショイのプリンシパルとしてシーズンをスタートしましたが、急な昇進について、心の準備はできていましたか?
YS:私にとっては驚きでした。確かに、プリンシパルになって主役を踊るのは、こどもの頃からの夢でした。しかし、ボリショイでは、全てがあっという間の出来事で。(一連の出来事は)ショックでもあり、幸福でもあり、責任を感じました、感情に押し流されそうになりました。責任感を持って、プリンシパルという地位にふさわしいことを証明するべく精進して行きます。
BI:どうして芸術監督のワジーエフは、ボリショイ劇場移籍入団後たった一年ほどのあなたをプリンシパルにしたと思いますか?
YS:(笑い)もちろん、私にはわかりません。彼には感謝しています。まあ、バレエ学校卒業後8年目のシーズンですけれども、今が私のダンサー生命のピークでしょうか、もしこれ以上の成長ができないのであれば、遅すぎるくらいかもしれません。毎年、体の自由が前ほどでなくなってきていますし、この事実からすれば、何か成し遂げたいと願っていても明るい材料があるとは言えませんね。私見では、芸術監督のリーダーとしての決定は、納得がいくと思っています。
BI:何年も、ランク階段をのぼっていくのですね。ダンサー仲間からの反応は気にしていますか?
YS:否定的な態度を取られるのではと恐れていました、しかし、今のところ、そのようには感じていません。誰も私にそのように言うヒトはいませんでした。たくさんのダンサーとよく話しました。団員達はみなおめでとうと言ってくれましたし、この件についてはホッとしています。
BI:マリインスキーを出た後、モスクワでは、ボリショイ入団前に、クレムリン・バレエやモス音で踊っていましたね。どうして、モスクワで最初にクレムリン・バレエに入団したのですか?
YS:静かに踊りを楽しみたい時期があったのです。実際、アンドリス・リエパのところに行って踊ることになっていました。しばらくしてから、きちんとした劇場で広い役のレパートリーに挑戦してみたいと強く感じ、モス音に行きました。
BI:現在のボリショイでは、サンクトぺテルスブルク(=マリインスキー)からのプリンシパルをたくさん擁しています。あなた自身、ワガノワ・バレエ学校の出身代表、そして、サンクト代表として、どのように思いますか?
YS:モスクワとサンクトの間には、違いがあります。私にとっては、どちらが上でどちらが下かを決めるのは容易ではありません。サンクトでは、女性ダンサーは抒情的な踊りを求められ、回転や腕の動きは異なるものを要求されます、しかし、モスクワでは、興奮、スピード、技術を要求されます。(大きな)劇場では、異なるダンサーを擁する包容力があります。
BI:どのようにして、ワガノワ・バレエ学校に入学したのですか?
YS:ポワントやチュチュに憧れていました。他のたくさんの女の子と同様に、オレンブルク(=Yuliaの出身地)では、ダンス・レッスンに出ていました、そして、ダンス学校に入団が許可されたのです。そこでは、先生たちは私に特別な才能があると気が付き、ワガノワ・バレエ学校の入団試験を受けるようにアドバイスしてくれたのです。入団は許可され、訓練はより厳しいものとなりました。
BI:ワガノワ卒業後、マリインスキーに入団するのは難しかったですか、競争は本当に激しいようですし。
YS:すぐにはマリインスキー入団許可は出ませんでした、疑問符がつけられていました。けれども、ボリス・エイフマン劇場はすぐに雇ってくれました。基本的には、やる気満々でエイフマンに入ったのです。しかし、コンサートでいくつか踊ると、マリインスキーに入団を許可されました。私の師であるサフロノワ先生が、私は古典を踊るべきだと諭してくれて、マリインスキー入団を決意しました。
BI:マリインスキー時代と比べて、ボリショイでは踊るためのアプローチは変わりましたか、それとも、実質的な変化はありませんでしたか?
YS:もちろん、変わりました。思うに、私の人生は、きっちりと分かれていますね。ここモスクワでは、異なるエネルギーとより多くの機会を与えてくれます、ここでは、リズムも違うし、人も全く異なります。私自身、自信がつきましたし、自由で活気に満ち溢れています。
BI:ボリショイ・バレエのプリンシパル、Yulia Stepanovaの一日は?
YS:私の一日は、バレエのレッスンから始まります、その後、さまざまなリハーサルをこなします。スケジュールによって、リハーサルは、午後であったり、夕刻であったりします。もし、劇場での舞台装置セットアップ過程であった場合、リハーサルは一日中行われます。よく、夜の部の公演も行われます。もし、夜の公演で主役を踊る場合は、午後、公演が始まる前に少し休憩します。
BI:公演前に特別に準備することはありますか?
YS:ステージに立つ前に、一時間半かけます。当日公演のビデオをみたり、役を全て頭に叩き込むための努力をします、段々と、役のイメージに入っていくのです。私にとって、踊る前の準備として、これは重要な瞬間です。
BI:ダンサーは、「この役を踊る権利・資格がある」と常に証明しなければなりません。あなたは、「新入り」として、人の二倍努力が必要ですね。どのように緊張やストレスに対処しているのですか?
YS:私の人生においては、何度もそのような境遇に遭遇しました。あなたもご存知のように、芸術家として、恒常的に、バレエ学校入学からずっと、誰かに何かを証明しなくてはならないのです。それは、習慣になるのです。もちろん、不安になります、しかし、自分自身気を引き締めてやるべきことをやる、ということを学びました。
BI:踊るために犠牲にすることは・しないことは?
YS:あまりやり過ぎないこと。実際、私は狂信的にバレエを究めたい訳ではなく、バレエのために人生をかけません。家族を持ちたいし、子供が欲しいです、道徳的な価値感を無視はしません。
BI:近い将来の目標はなんですか?
YS:意気揚々としていると感じています。一生懸命、できうる限り仕事・踊りをどんどんこなしていきたい。クラシックでもコンテでも。
BI:ボリショイでの先生はどなたですか?
YS:セメニヤカ先生です。彼女は偉大なプロです!ボリショイのプリンシパルでした、私と同様ワガノワ卒業生ですし、ボリショイの舞台に立つのを助けてくれます。バレエの技術を教えてくれます。また、とても素敵な方です。彼女といると、母といっしょにいるような気持になります。どんな話題でも話せますし、リハーサルでは、自由に踊らせてくれると感じます。